そういう彼も黒いスーツに黒いネクタイ姿、そして大きなボストンバッグを下げていた。風俗嬢たちは皆、この暗そうな菊坂をイヤがり敬遠する。結局相手をすることになったのは、この店の中でも変わり者のカズミ(本名は和子)だった。
菊坂はカズミと「ストーリーSEX」を楽しむ。カズミは夫に死なれたばかりの未亡人役を演じ、菊坂はそれを慰める夫の友人の役。カズミの演技は相当のもので、最後は泣きながら菊坂に抱かれる。その真に迫った演技に菊坂は感動し、以後、「人形の家」に通い詰めるようになる。
平凡なサラリーマンである菊坂の、唯一の趣味はSMであった。イヤがる妻・ともえを緊縛しては、ムチやバイブなどでいたぶり、悦びを得ていたという過去があったのである。菊坂にとってともえは、この世の中でただ一人、自由に玩ぶことの出来る「人形」のような存在だったのである。
彼は、「決してほかの男と浮気が出来ないように」と称し、ともえの陰部をツルツルに剃っていた。そして、ちょっとしたことにも激しく嫉妬し、ともえをいじめ抜いていた。とうとう妻は菊坂の前から姿を消してしまった。
「あんなに愛してやったのにどうして?」
菊坂はやり場のない怒りと悲しみに捕われ、「妻は死んでしまった」と思い込むようになる。以来、常に妻の遺影をSMグッズと共にボストンバッグに入れ行動するようになったのだった。
カズミとの「ストーリーSEX」の中で、妻とのかつてのプレイをなぞっていく菊坂。菊坂に緊縛され、剃毛されながら、カズミも次第に菊坂の過去に薄々気付くようになるのだった。
かつては人妻で、古田と結婚していたカズミは、夫とのSMプレイに明け暮れる日々を送っていた。SMを通して夫婦の愛を確認するしか出来ない二人だったが、それでもカズミは幸せだった。時には、古田の部下も交えて、プレイをすることもあった。
しかし、カズミという女は被害妄想を内包していた。現在は独り暮らしをしているカズミは、ひとりでいるときも常に何かに脅え、姿の見えない「誰か」と会話している。自縛オナニーをしながら、「トオル君。ゴメンネ、ゴメンネ」などと叫ぶこともあった。
菊坂とのプレイ中にも、ある時カズミは「トオル」という名前を口にする。
「トオルって誰だい?」
と聞く菊坂に、カズミは過去を語り始める。結婚していたことや夫ともSMをしていたこと、そして…。
「離婚って言うか…家出しちゃったの。私ね、子供がいたの。だけど死なせてしまった。そのコの名前がトオル」
それ以来、普段でも喪服を着ているのだとカズミは言う。それが真実なのかどうか、菊坂にはわからない
しかし、菊坂とカズミは、次第に心が通い合い、互いの傷をナメ合うように「喪服SMプレイ」を続けるのだった。
そんなある日のこと、カズミに指名がかかった。菊坂以外の男からの指名は珍しいことである。指定されたホテルに行くと、そこに待っていたのは古田だった。二人はそこで当たり前のようにSMプレイをする。今までにも時々会っていたらしい関係であった。
ここでは二人の間に生まれなかった子供がいたことは語られない。別れた夫婦が、違う形で肉体関係を持っているに過ぎない光景であった。
その頃、菊坂も別のホテルにいた。が、やって来たのはカズミではなく、若いエミ子だった。
「カズミさんはどうしたの?」
「あの人、珍しく別の客の指名が入ったのよ」
そしてエミ子はカズミに関する噂話を語るのだった。それは菊坂がカズミ自身から聞いている話とはまた食い違う内容であった。不愉快になった彼は、
「キミ、帰っていいよ。お金なら払うから」
という。しかし、エミ子にもプロのプライドがあった。エミ子は積極的にフェラチオして行く。ノリ気じゃない菊坂はバスルームに逃れるのだった。
ふと菊坂のボストンバッグに目を留める。
(SMグッズでも入ってるのかしら?)
バッグを開け、ともえの遺影をみつけてしまうエミ子。
「ヒイイッ! なによコレ!」
逃げようとするエミ子に菊坂は襲いかかり、緊縛の上剃毛、レイプする。
そして菊坂とカズミのプレイはクライマックスに近づいていく。カズミの演じる未亡人は夫の後を追って自殺することを決意。菊坂が演じる「男」は、カズミを愛する余り、「自分も一緒に死ぬよ」という。
すでに二人とも、現実と虚構の区別があいまいになりつつあった。
二人は「死に至る儀式」として、今までよりも激しいSMプレイをする。緊縛、バイブ、そしてロープで互いの首を締め合いながら意識が遠退くのを楽しみ、「死の甘美さ」を口にし合うのだった。
そしてプレイの後、菊坂は睡眠薬を出し、カズミに渡す。ふたりは芝居の続きのように薬を飲むのだった。
やがて眠りにつく二人は、本当に心中したかのように見えた… 菊坂はバスタブにつかりながら、鼻歌まじりにブクブクと沈んでいく。そしてカズミの方は、うっすらと目を開けるのだった。(なんだ。私、死ななかったのね)
自嘲的に微笑むカズミ。
後日、カズミは別の客とホテルにいる。今までとは違う設定の女を演じ、また嘘の身の上話を始める彼女だった。