閉店後に食事をするのがこの家の習慣だが、食後すぐに慶一は出掛けていくことが多い。愛人の由紀に会いに行くのだ。風呂もそこで入っているらしい。初めは千景も慶一を問い詰めたりしたが、いつも芳枝が庇い、逆に千景が叱られる。最近はもうあきらめるようになっていた。それでも千景は自分で選んだ道なので逃げ出すわけにはいかないと健気に生きていた。
芳枝は10年前に婿養子だった夫が他界して以来、自分で店を切り盛りしてきたが、そんな苦労を感じさせない色気を充分に保っていた。店の常連の西野と愛人関係にあり、家にも頻繁に連れ込んでいた。千景が深夜まで店の後片付けをして戻って来ると芳枝の喘ぎ声が廊下まで漏れてくる。千景は布団が一組敷かれた部屋で独りで眠るのだった。
千景の唯一の安らぎは板前の青木と豪の思いやりだった。働き者の千景に好感を持っている二人は芳枝にいびられる千景を何かと庇ってくれる。特に豪は千景とは幼なじみで、ずっと思いを寄せていたのだ。だが千景はそんな豪の優しさは友情だと思っていた。
ある夜、千景が眠っていると酒に酔った慶一が珍しく帰宅した。由紀と喧嘩になり追い出されてきたのだ。そしていきなり千景に襲いかかってきた。千景は抵抗する。慶一に抱かれたいと思っていたが、もう何ヶ月も触れられていなかったのにこんな形で抱かれるのはいやだったのだ。だが、慶一の力は強く、拒みきれなかった。行為が済むと慶一はさっさと眠ってしまい、千景は声をあげて泣いた。今までの悲しみが一気に吹き出してしまったのだ。
翌日、開店準備をしていた千景はついに倒れてしまう。それをみつけた豪は千景を介抱しながら、何があったのかと尋ねるが千景は「疲れが溜まってただけ」としか言わない。何もかも聞いて欲しいという気持ちを押し殺していた。そして豪も何もしてあげられない自分に悔しさを感じていた。
何日か経って、千景も次第に元気を取り戻していった。ある定休日、泊まっていた西野と芳枝が食事しているところへ西野の妻が尋常でない表情で乗り込んでくる。そして、持っていた果物ナイフを芳枝に向けて振り回す。西野は悲鳴を上げて逃げてしまうが芳枝は妻の目を見据えていた。お茶を入れていた千景は咄嗟に芳枝の前に立ちはだかり、ナイフは千景の腕を擦り落ちていった。芳枝は思わず千景を抱き締めた。
一週聞後、豪に付き添われた千景が病院から出てくると芳枝が待っていた。芳枝は、自分は隠居し店を千景に任せたいと告げる。そして豪にこれからも千景を助けていってほしいと頼む。思いも寄らない芳枝の言葉に千景は戸惑い、そんな自信はないと答えるが、芳枝は「さかきを継いでいけるのは慶一ではなくあなたよ」と言い残し去っていく。
半年後、料亭「さかき」の女将として働く千景の凛とした姿がそこにあった。そして豪と青木が暖かく見守っている。