山辺暁子は如意法院の本堂で住職の佐賀慈恵と相対していた。昔、慈恵は身よりのない子供達を預かって育てていた。その中に晩子と弟の利男もいた。
暁子は慈恵にこれまでの自分の生き様を語り、出家したいと訴えていたのだ。慈恵は晩子の決意が固いと見て出家を許していた。今日が剃髪をする日だった。
得度の儀式を終えた後、暁子の髪に鋏が入った。その瞬間、暁子の脳裏に数ケ月前の出来事が蘇った。
暁子の黒髪を藤野孝明が撫でながら、愛撫した。教師と教え子。二人は禁断の関係だった。だがそれ故に二人の関係は深いものだった。
暁子の髪が剃られた。暁子は慈光という法名を名乗ることになった。
数ヶ月が過ぎた。暁子こと慈光は辛い修行にも耐えることが出来た。そして落ち着いた平穏な日々を送っていた。一つの出来事を除いて…。
その出来事とは、如意法院と同宗派の寺から修行と称して、僧侶の鷲尾竣栄とその弟子の竣仁がやってくることだった。修行だけなら良いのだが、竣栄は必ず一晩泊まって行き、その間に慈光に対し僧侶とは思えない卑わいな目を向けるのだ。
実際に竣栄は慈光の裸を覗くような真似までして、慈光を簡単には抱けないと分かると、温泉場のコンパニオン(唐沢順子)を寺に呼び、金で女を抱くのだった。
そんな竣栄を弟子の竣仁はさげすんだ目で見ているのだが…。 数日が過ぎた。暁子は出家し慈光を名乗るようになっても、別れたままのたった一人の肉親、弟の利男を忘れることが出来なかった。
利男は弱い男だった。弱いからこそチンピラに身を堕としていた。
慈光の心配する心が届いたのか、その夜利男が如意法院に現れた。
利男は鉄砲玉となって敵対する暴力団の幹部を刺し殺してきた、警察に捕まる前に姉の顔を一目見たかった、と眩いた。
過去を背負い尼僧になった姉そして殺人を犯してしまった弟…。
利男は実の姉を前にして犯してきた罪に対する恐怖を素直に訴えた。そんな弟を姉は抱きしめた。抱き合った二人の脳裏に幼い日々が蘇った。両親に死に別れた利男にとって、姉は母であり、恋人であった。
利男は暁子の胸をまさぐった。まるで乳飲み子が母にするように。暁子は振り払おうとはしなかった。いつまでも弟を抱きしめていた。
その時暁子の脳裏に孝明との最後の時が蘇った。
死を覚悟した男女のセックスは激しい…。暁子と孝明は禁断の関係を死で精算するつもりだった。
二人はラブホテルの一室にいた。
二人は睡眠薬を飲んだ。孝明は深い眠りに落ちた。だが暁子は眠りに落ちる前に気分が悪くなりすべてを吐き出してしまった。永遠に眠り込んだ孝明を前に暁子はただ未然とするばかりだった。
翌日、慈光は利男を連れて山を下りた。利男を警察へ自首させるつもりだった。
利男と入れ違うように一人の女が如意法院へやってきた。尼寺は迷える女達の駆け込み寺になっているのだ。
顔面に痣を作り文字通り駆け込んできた女は染川碧。碧は夫の暴力に耐えきれず逃げてきたのだった。
碧の云う通り、彼女の躯には至る所全身に殴られた痕がありそれらが赤黒い痣になっていた。それは夫の暴力の激しさを物語っていた。碧は夫との関係を赤裸々に語った。
夫昭平はサディストだった。碧を殴りつけた後、セックスを強要するのだ。そんなとき碧は泣きながら夫の欲望を受け入れてきたのだ。
慈光は読経をあげた。救いを求めるように…。
碧は数日如意法院に滞在していた。その日も暮れようとした頃、磐の夫昭平が如意法院に怒鳴り込んできた。
慈恵と慈光の毅然とした態度に、さすがの昭平も暴力を振るえず、帰っていったのだが、ふと気付くと碧の姿が見えないのだ。
碧は暴力に晒されると分かっていながらも、寂しさに負けて夫の後を追ったのだった。
暴力を受けながらも男を受け入れてしまう弱い女。慈光は女の性を呪った。
慈光は滝に打たれた。再び苦行に身を置いたのだ。
だが苦行によっても心の平静を保つのは難しかった。そして更に不幸が慈光を襲った。恩師であり育ての親の慈恵が急死したのだ。
修行の身の慈光に慈恵の葬儀を行うことは出来ず、竣栄がその葬儀を取り仕切ることになった。
ところが葬儀を終えたその夜、竣栄は弟子の竣仁と共に如意法院に泊まることになったのだが、当然のように慈光の躯を求めてきたのだ。竣栄によれば、如意法院の尼僧は代々、同宗派の男僧の慰み物になっていた、と云うのだ。慈恵もそうしてきた、と言う言葉を訊いて、慈光は竣栄を拒めなくなってしまった。竣栄は貪欲に慈光の躯を求め続けた。しかも修行と称して弟子の竣仁に二人の痴態を見せつけたのだ。慈光はその異様な状況の中で、図らずも絶頂を迎えてしまうのだった。
ただこの時、初めて男女のセックスを目の当たりにした竣仁の胸に、激しい欲望と共に、竣栄に対する僧しみが芽生えていた。 竣栄達が帰ってから、慈光は自らを律するためにより過酷な状況に身を置くことにした。寺を出て托鉢に出たのだ。街に立つ編み笠の坊主が、尼さんだと知れると、一様に人々は奇異な目で見た。慈光は自分を晒した。晒すことで何かが変わるのではと考えた。
強い雨が降り続いていた。ずぶぬれになっても慈光はその場を動こ、つともせず、托鉢を続けた。人々が慈光の姿など目に入らぬように急ぎ足で通り過ぎて行った。
そして再び苦行を続けるために、慈光は滝に打たれ